気管カニューレ抜去困難症

 

はじめに

 

 気管切開を必要とした原疾患が軽快、治癒したにもかかわらず、気管切開口(孔)を閉鎖すると呼吸困難や誤嚥を起こすため気管カニューレを抜去出来なくなった状態を気管カニューレ(套管)抜去困難症(difficult decannulation)と言い、広義の外傷性喉頭気管狭窄のひとつである。

 1976年に、獨協医科大学気管食道科学日野原正教授は、耳鼻咽喉科誌特集「外傷」気管カニューレ抜去困難症1)について、その多くは、一般に乳幼児気管切開後遺症として発症するが、近年、交通、労働、スポーツなど種々の災害受傷後、あるいは、中枢性、心血管系の疾患による呼吸不全などにより、成人でも緊急気管切開を受ける機会が多くなり、その後遺症として医原性ともいわれる本症の偶発することがまれではない。しかし、外傷と本症との関連性は、頚部とくに喉頭・気管外傷を除いては直接関係がなく、むしろ気管切開術という医療的外傷それ自体が関係するというアイロニーがあると述べている。

 日野原教授は、私が、上司朴沢二郎教授のすすめで、1978年4月9日から3週間、久留米大学耳鼻咽喉科学平野実教授が団長の頭頚部外科視察団に参加し、セントルイス、シンシナティ、ニューヨーク、エール、ワシントン(東部)の各都市8施設を視察し、その後、マイアミ・パームビーチで開催された米国耳鼻咽喉科学会の年次大会に出席した際にご一緒し、親しくさせて頂いた先生で、2003年に、250頁に及ぶ著書「故きを温めて」2)をお贈り頂いた。

 先生は、1955年に慈恵会医科大学を卒業、1年間のインターン後耳鼻咽喉科学教室に入局、教室が主催した1977年日耳鼻総会時の「日本耳鼻咽喉科学会80年記念誌」、および、学会創立90周年記念「日本耳鼻咽喉科史」、「日本耳鼻咽喉科学会百年史」編纂の長として活躍された。

 その間、短期間の聖路加国際病院勤務を経て、1974年4月に獨協医科大学気管食道科学教室教授として赴任され、19973月退任、名誉教授になられた。

 退任時に発行を予定していた著書「故きを温めて」は、論語為政の「温故知新」によるもので、その由来について著書に詳しく記載され、見開きに、時の歩みには三様がある 未来は ためらいながら近づき 現在は 矢のように過ぎ去り 過去は 黙って立っている シラー「思想詩」1976 とあり、アメリカ紀行寸感米国頭頸部外科視察団に参加してーのページには、ボストンV.A.病院、ストロング教授のレーザー光線による喉頭手術を見学した際の写真が掲載されている。

 手元にある1983年発行の学会創立90周年記念「日本耳鼻咽喉科史」3)に、編纂委員会委員長日野原正、日本医史学会会員と記載され、弘前大学医学部耳鼻咽喉科学教室史に、初代片桐主一教授、第二代粟田口省吾教授、第三代朴沢二郎教授とその研究、臨床について詳しく記載されている。

 

 症 例

 

 症例1は4歳女児、1980年X月に肺肝動脈奇型の手術を受け、抜管後に呼吸困難が出現したため気管切開が施行され、以後、気管カニューレを抜去すると呼吸困難が出現してカニューレを抜去できず、1カ月後に弘前大学病院耳鼻咽喉科に紹介された。

 初診時の局所所見は、気管切開口の上部前壁が弁状に陥凹していた。

治療法として、外径8㎜のシリコンゴム製Tチューブ(高研製)を挿入し、71日後にTチューブを抜去した。気管カニューレ抜去困難症の軽症例であるが、創部は絆創膏で寄せるだけで縫合せず自然に閉鎖するのを待った。これは、呼吸困難再発時に、小さなサイズの気管カニューレから順次大きなサイズを気管切開口に挿入し、切開口を短時間で拡張する緊急処置を想定したためである。

 図1左は、Tチューブ挿入3日後の前頚部所見で、チューブに栓をして発声可能である。図1右は、Tチューブ抜去3日後の所見で、気管切開口はほとんど閉鎖し、その後の経過も良好であった。

  症例2は、1982年に弘前大学病院耳鼻咽喉科を受診した5歳女児で、出生時にダウン症候群の診断を受けていた。

 2歳の時、合併症である先天性心疾患を手術した際に気管切開を受け、以後、気管カニューレを抜去すると呼吸困難が出現するため、カニューレを抜去できず、耳鼻咽喉科に紹介となった。

 1982年X月に耳鼻咽喉科入院、初回手術を施行した。初回手術は、図2左上のごとく声門前方を開大して瘢痕を切除し、粘膜欠損部を口腔から採取した遊離粘膜弁を移植して被覆、樋状の型に形成縫合してシリコンゴム製Tチューブ(高研製)を挿入し、その1ヵ月後に再手術を施行した。図2左下は、2カ月後の前頚部所見である。

 7カ月後に3回目の手術を施行した。図2中上は、採取した耳介軟骨複合弁、図2中下は、複合弁を用いて喉頭前壁を形成した所見、図2右上は、19842月(14カ月後)の喉頭内視鏡所見と前頚部の小さな気管瘻孔の所見、図2右下は、19865月(37カ月後)来院時の前頚部所見で、気管瘻孔は閉鎖している。

 症例1,2は、1983年の日気食会報誌に、外傷性喉頭頚部気管狭窄症例の手術経験4)として記載した9例中の2例である。

 症例3は48歳女性、197812月に悪性甲状腺腫の手術を受け、術後に呼吸困難が出現したため気管切開を受け、以後、気管カニューレを抜去すると呼吸困難が出現するため気管切開口を閉鎖出来ず、1979年5月、弘前大学病院耳鼻咽喉科に紹介され、入院となった。

 喉頭鏡検査で、両側声帯は正中位に固定しており、両側反回神経麻痺による両側声帯正中位固定症と診断し、声帯外方移動術であるWoodman手術5)を施行した。

 図3左上は、入院時前頚部所見、左下は右披裂軟骨を同定している手術所見、図3右上は術後呼吸時内視鏡所見で、手術した右声帯が外方に開大固定し、呼吸困難は改善した。図3右下は気管カニューレ抜去、気管切開口閉鎖後の前頚部所見である。

 症例4は17歳男性、1986年X月、バイク運転中トラックと接触、転倒して頭蓋骨骨折、脳挫傷、くも膜下出血、鎖骨骨折をきたし、県内病院の脳神経外科および一般外科にて治療を受けるも、誤嚥のため気管カニューレを抜去出来ず、同年12月、弘前大学病院耳鼻咽喉科に転院となった。

入院時、気管切開口には、誤嚥防止のためカフ付き気管カニューレが挿入されていた。

 図4左上は、「ア」と発声時の中咽頭所見で、口蓋垂が左方へ偏位し、発声後元に戻るカーテン兆候が陽性であった。図4左下は同じく下咽頭・喉頭所見で、右側梨状陥凹に唾液貯溜が著明、右側反回神経麻痺も認められ、頭部外傷後の混合性喉頭麻痺・Avellis症候群6)7)と診断した。

混合性喉頭麻痺は、反回神経麻痺に他の後部脳神経麻痺を合併するものの総称で、Avellis症候群は、片側の軟口蓋、咽頭、喉頭の麻痺が合併しているものをいう。

 入院後の経過:食道透視で誤嚥により喉頭内腔も造影され、経口摂取のトレーニングを試みるも摂取不能で、輪状咽頭筋切断術と喉頭挙上術を施行した。

 図4中上は下咽頭収縮筋を露出して輪状咽頭筋を同定、図4中下は輪状咽頭筋を切り離した手術所見、図4右上は縫合所見である。図4右下は、気管切開口を閉鎖した退院時前頚部所見で、誤嚥は消失し、経口摂取可能 になったが、食事には約20分を要していた。

 

 考 察

 

 喉頭頚部気管狭窄には急性狭窄と慢性狭窄があり、前回と今回のエッセイで記載した治療は、私が病院勤務医として手術していた3040数年前の慢性狭窄に対する方法で、気管切開口(瘻孔)を閉鎖し、経気管呼吸から自然気道からの呼吸に復帰させ、会話・摂食が可能になることを目標としていた。

 現在は、医学の発達、高年齢化による超未熟児の救急医療や高齢者の脳神経疾患・認知症患者に対する気道確保など、将来に亘って気管口閉鎖を期待できない症例が増加している。

 2018年に和田ら8)は、小児救急治療室における気管切開の気道予後について、対象85例中カニューレ除去が15例(18%)、喉頭気管分離が11例(13%)と報告している。

 2010年に大熊ら9)は、回復期リハビリテーション病棟における気管切開患者の転帰について報告し、年齢は12歳~93歳、平均60.7歳、性別は、男性53名、女性25名、病名は脳出血31名、くも膜下出血12名、頭部外傷11名、その他の脳損傷3名、廃用症候群7名で、入院時に気管切開を有した78例中、入院中にカニューレ抜去・気管切開孔閉鎖に至ったのは46名(59%)、抜去しなかったのは32名(41%)としている。

 気管切開は、輪状軟骨を損傷しないように第2、第3気管軟骨を切開するのが標準とされており、2020年に杉山10)は、気管切開後に喉頭狭窄をきたす場合、高位気管切開にともなう声門下狭窄が多くみられ、カニューレが輪状軟骨と接することで声門に炎症性変化をきたし、狭窄を引き起こすことが原因となる。炎症性肉芽、瘢痕などで高度の器質的狭窄をきたしている場合は、気管切開孔を開大し病変除去、粘膜欠損には粘膜移植、軟骨欠損にはステント留置と述べている。

 2020年に鹿野11)は、高齢化社会の中で、外科的な気道確保の適応は多様化し、術中・術後の合併症が危惧される現状では、より安全性に考慮した新しい術式が求められてきたとし、2007年に輪状軟骨を鉗除して輪状軟骨の位置(高さ)に切開孔を形成する術式を報告12)し、その後、輪状軟骨切開(開窓)術は、現在、気道確保の新たな選択肢として適応拡大が期待されるとしている。

 また、気道確保の外科的方法は“気管壁から到達する方法”と“輪状甲状靭帯から到達する方法”のみで、これまで意図的に“輪状軟骨を鉗除して到達する方法”はなかった。その結果、臨床現場での術式選択は、超緊急症例に対する輪状甲状靭帯穿刺・切開術と超緊急以外の気管切開術に限定されてきたとしている。

 同術式の利点は、出血のリスクが少なく、皮膚から気道までの距離が最も浅く、カニューレの長時間圧迫で破壊される輪状軟骨、第一気管輪が鉗除されるため、肉芽・瘢痕・狭窄が予防され、気管カニューレ抜去困難症の回避につながるとし、腕頭動脈走行異常症や甲状腺腫瘍などでの中気管切開や下気管切開は、出血の危険が高く、また、通常の気管切開の気管孔は気管カニューレを抜くと短時間に狭窄するが、輪状軟骨を鉗除した気管孔はカニューレなしでも狭窄せず、脱落・自己抜去しても安全に再挿入でき、長期留置例の安全管理に有用としている。

 輪状軟骨を載開する手技は、私達が、慢性喉頭頚部気管狭窄再建の際、声門前方開大術その他でよく用いていた手技であるが、治癒まで数週間、時には数年の長期を要する方法であった。鹿野の方法は、慢性喉頭気管狭窄によくみられる粘膜欠損・肉芽増生・瘢痕・軟骨欠損などは無いか、あっても軽微な症例が大半と推測され、緊急気道確保・永久的気管瘻作成などに有用性の高い、現在の医療情勢にマッチした良い方法と推測している。

 1982年に丘村、湯本13)は、両側反回神経麻痺(正中位固定)に対して声帯外方移動術を施行した5症例を紹介し、両側声帯が正中位に固定されると高度の呼吸困難が起こり、永久気管瘻によるか、声門開大術による気道の確保が必要になるとし、症例の術前・術後呼吸機能について検討を加えて報告した。

 また、声門開大術の目標は自然気道より呼吸機能の確保におかれるべきで、発声機能を犠牲にしても有効な声門間隙が得られるよう手術操作を行う必要があることを強調し、有効な声門間隙の得られない場合には追加手術が必要となるが、レーザー手術による声帯手術が良好な結果を得ることを附言している。

 1998年に湯本14)は、成人の両側反回神経麻痺による気管カニューレ抜去困難症の手術・声門開大術のポイントで、両側声帯が正中位に固定すると高度の呼吸困難を生じ、日常の活動が著しく制限される。そのため、気管切開術や気管開窓術の行われることが多い。しかし、気管切開口を設けると、呼吸困難は解消されるが、一方で、入浴や喀痰の処理など日常生活にきわめて不便な状態になる。声を使う特別な人(僧侶など)を除いて声門開大術を行い十分な広さの声門を確保することによって気管切開口を閉鎖し、患者のQOLの向上に努力してきたとし、両側声帯正中位固定症18名に対して行った種々の声門開大術の長所・短所について述べている。

 

おわりに

 

 前回のエッセイ(4)で、1983年に、レーザーメスというタイトルで日耳鼻青森県地方部会に出題・録画したU-matic tapeを保有しているが、再生装置なく視聴出来ないと記載した。

 当時、弘前大学病院中央手術部に炭酸ガスレーザー手術装置が導入され、頭頚部癌の手術等に使用した記憶はあるが、tapeに内容記載なく、詳細を知りたいと考えてNET検索し、ダビングコピー革命という会社でダビング可能と知り、費用はU-matic tape2本とDVD複製、宅配料金込みで数千円、完成は3カ月後と見積もられたので、会社宛に託送し、10月末に完成、返送された。

 ビデオを視聴したところ、当初推測したレーザーメスの画面はなく、大半が、朴沢教授開講十周年記念式典、SGT教育、教授総回診、講義室での臨床講義、中央手術室における手術と学生への解説、医局野球の練習風景などの記録であった。

 Tape保有に至った経緯の記憶は定かでないが、当時、U-matic tapeが高価で、何度か上書き・再録画したためかと推測している。

ビデオは30数年前の映像で、朴沢教授はじめ物故された先生方も居られ、追福と考えて、当時の医局生活を懐かしく視聴した。

 

 参考文献

 

)     日野原正、他:気管套管抜去困難症.耳鼻咽喉科48(10) 1003-1008 1976

)     日野原正:故きを温めて サンプリント株式会社 宇都宮市 2003

)     社団法人日本耳鼻咽喉科学会:日本耳鼻咽喉史(学会創立90周年記念) 印刷 明石印刷株式会社 1983

)     齋藤久樹、朴沢二郎、他:外傷性喉頭頚部気管狭窄症例の手術経験.日気食会報343260‐269 1983

)     Woodman DA modification of the extra laryngeal approach to arytenoidectomy for bilateral abductor paralysis. Arch Otolaryngol 43 63-65 1946

)     Avellis G: Klinische Beiträge zur halbseitigen Kehlkopflähmung . Berl Klin 40:1-26 1891

)     吉田雅彦、他:Avellis症候群の一症例.杏林会医誌14(1)75-78 1983

)     和田宗一郎、他:小児集中治療室患者における気管切開の気道予後.人工呼吸 Jpn J Respir Care 35(1) 64-70 2018

)     大熊るり、木下牧子:回復期リハビリテーション病棟における気管切開患者の転帰.Jpn J Rehabil Med 47-53 2010

10)   杉山庸一郎:気管切開術に影響を及ぼす病態とその対応 喉頭気管狭窄.JOHNS 36(2) 165-170 2020

11)   鹿野真人:輪状軟骨切開術:JOHNS 36(2)204-208 2020

12)   鹿野真人:気管切開後の管理合併症とその対策・予防―JOHNS 29(10) 1715-1720 2013

13)   丘村 煕、湯本英二、他:両側反回神経麻痺における声門開大術後の呼吸機能について.耳鼻臨床76(10)2505-2513 1983

14)   湯本英二:研修ノート 声門開大術のポイント.耳鼻臨床91(12)1288-1289 1998