先天性喘鳴・先天性喉頭嚢胞・先天性声門下狭窄

 

 

はじめに

 

私の診療所では、小児科の先生方からの依頼で、喘鳴を有する乳幼児の喉頭ファイバースコープ検査を行っていたが、弘前大学病院在籍時には、先天性喉頭嚢胞の手術、先天性声門下狭窄の再建術等を経験しており、当時を振り返りながら本稿を作成した。

 

先天性喘鳴

 

出生直後から数週間以内に出現する喘鳴を伴う先天性疾患を総称して先天性喘鳴と言い、その多くは喉頭軟弱症(喉頭軟化症、 laryngomalacia)である。喘鳴は、成長を待つと改善してくる例が多く、一部が手術適応となる。

20206月の日本医事新報に、守本倫子 国立成育医療研究センター感覚器・形態外科部耳鼻咽喉科診療部長の「子どもの のど外来―喘鳴を極める」1)という記事が掲載されていた。

守本は、喘鳴について、気道が狭窄している部位により、鼻雑音(stertor)は鼻咽頭とのどの間で生じる低い音で、いびき様である。吸気性喘鳴(stridor)は最も狭い声帯や声門下を空気が通る時に生じる高い音であり、特に、吸気時に聞かれやすい。呼気性喘鳴(wheezing)は、下気道における気管支の狭窄、痙攣、閉塞などで生じる呼気性の高い音が聞かれる。吸気時も呼気時も喘鳴が認められる場合は、声帯麻痺や声門下狭窄、喉頭気管炎などが挙げられるとしている。

喉頭軟弱症Olney分類2)が知られており、内視鏡所見は、Type1:披裂粘膜が気道内に引き込まれるType2:左右に喉頭がつぶれるType3:喉頭蓋が吸気時に倒れ込む、である。

図1は、私が経験した喉頭軟弱症の電子内視鏡所見をOlney分類で示したもので、左はType1 、3カ月男児の上が呼気時、下が吸気時、中はType2 、1カ月男児の上が呼気時、下が吸気時、右はType32カ月男児の上が呼気時、下が吸気時の喉頭所見である。

守本はQRコードを用いた動画URLを記載しており、スマホ等で視聴出来る。

井上ら3)は、喉頭軟弱症は、出生直後には吸気性喘鳴が明らかでないことが多く、生後1~3週間後の呼吸運動の増加とともに顕著となり、多くは喉頭の成熟とともに改善し、9095%の症例は1歳ごろまでに自然治癒する。しかし、約10%は重症例で、外科的治療を必要とする場合があると述べている。

次に、私が弘前大学病院在籍時に経験した重症例の手術と診療所で経験した手術不可例について記載する

 

先天性喉頭嚢胞

 

私は、1976年の日気食会報に、粟田口省吾教授と共著で先天性咽喉嚢腫の一治経例4)を投稿した。一緒に治療した弘前大学病院小児科野村ら)も、1967年の小児外科誌に同症例を投稿している。

論文中、嚢胞と嚢腫の呼称について、cystは、病理学では嚢胞と呼び、腺腫の一修飾型であるcystoma(cystadenoma)を嚢腫と呼ぶのが正しいとされている。しかし、当時、本邦耳鼻咽喉科文献の大半がcystを嚢腫と記載していたので、喉頭嚢腫を用いた。現在の文献では、ほとんどが嚢胞と記載されている。

症例は、在胎40週、体重3,000gの正常分娩で出生した男児で、出生直後より嗄声あり、生後24時間目頃から吸気性喘鳴、呼吸困難、時に無呼吸発作がみられたため、保育器に収容され、酸素吸入、経鼻細管栄養を行っていたが改善が認められず、産科医から耳鼻咽喉科医に紹介され、間接喉頭鏡検査で舌根部に腫瘤を認めたため、生後20日目に弘前大学病院耳鼻咽喉紹介となった。

初診時の間接喉頭鏡検査で喉頭全般を塞ぐ嚢胞様の腫瘤を認めたが、ただちに呼吸困難をきたし、精査不能で、弘前大学病院小児科に入院となった。入院時体重は2,715g(標準の71%)、保育器での酸素吸入、経鼻細管栄養を継続しながら経過を観察した。

その後も絶えず喘鳴が聴取され、体重増加不良、肺炎の繰り返しがあり、生後5,6カ月頃から肺性心、7カ月頃から右側頚部腫脹、斜頚を認め、生後11カ月で耳鼻咽喉科に転科入院となった。
 図2左は、術前頚部側面X線像のシェーマで、腫瘤は喉頭後壁から前上方に突出して喉頭の狭窄を来し、一部に透亮像を認める。 

図2中は、生後11カ月で挿管全身麻酔下に施行した初回手術の喉頭直達鏡所見をシェーマで示したもので、嚢胞の基部は右披裂部から右喉頭外壁にかけて存在し、嚢胞は右下咽頭から喉頭入口部の正中を超えて左側まで占拠していた。
 大きさは母指頭大で、表面に小血管の走行が認められた。

嚢胞壁を穿刺して濃厚な粘液を吸引後に鉗子で壁を切除し、術後3日目に小児科に転科入院した。術後、呼吸困難は軽快するも喘鳴は聴取され、経口的にミルクを与えると吐き出して嚥下出来なかった。

1カ月後から喘鳴が増強し、吸気性呼吸困難が頻発するようになり、嚢胞再発が確認され、2カ月後に、小児科入院のままで2回目の手術施行、3カ月後に3回目の手術を施行した。

図2右は3回目の手術所見で、嚢胞は小指頭大で、前回、前々回と同様、肥厚嚢胞壁粘膜を出来るだけ広く鉗子で剥離除去した。

以後、呼吸困難、喘鳴は消失し、嚥下障害も次第に回復し、3回目手術の2カ月後に経口摂取可能となり、再発なく、4カ月後に小児科を退院となり、術後10カ月の外来受診時にも再発無く、発育は良好で、呼吸障害、嚥下障害、嗄声等の症状も消失した。

初回手術時の組織所見では、重層扁平上皮とリンパ濾胞が認められ、2回目手術時の組織所見では、結合織中に上皮細胞が管状をなして深く増殖していた。 

 喉頭嚢胞は、本邦においても多数の報告があるが、その大多数は成人についての報告で、乳幼児に発生した先天性喉頭嚢胞の報告は非常に少なく、1967年のSuehs5)の論文によれば、当時、報告例の約半数は嚢胞による窒息死後の剖検によってはじめて診断されており、先天性喘鳴とされたり、原因不明のまま死亡したりする例もかなりあると考えられ、早期に診断し、適切なる治療を行えば救命できる疾患で、産科医、小児科医および耳鼻咽喉科医は、この疾患の存在をよく知っている必要があるとしている。

 

先天性声門下狭窄症

 

粟田口教授は、定年退官後、青森県立中央病院長を勤めながら、著書“気道のがん”執筆のため、よく、耳鼻咽喉科学教室に顔を出されて、朴澤二郎教授が用意した図書室の机に座って、下調べをしておられた。

ある時、粟田口院長が弘前大学病院在籍時に手術して気管カニューレを装着したまま成長した先天性声門下狭窄症の患者さんが、気管孔閉鎖を希望して青森県立中央病院を受診したので、手術を弘前大学病院で実施してもらえないかと相談された。

患者さんは、出生直後から強い嗄声と呼吸困難があり、生後7日目(19617月)に弘前大学病院を受診し、その後も感冒に罹患する度に頻回に呼吸困難を来すため、19628月に入院して気管切開を受けた。

19697月から翌年4月まで9カ月間再入院し、声門下腔に認めた硬い横隔膜を内視鏡下に切除し、拡張子(hard core mold)挿入による喉頭拡張術を試みたが不成功に終わり、喉頭載開術は家族の同意が得られず、気管孔を閉鎖できなかったが、18歳になって高校卒業後の就職に差し支えるからと、気管孔閉鎖・気管カニューレ抜去を希望し、粟田口院長を頼って青森県立中央病院を受診したもので、患者さんは、19789月、弘前大学病院に3度目の入院となり、10、挿管全身麻酔下に手術した7)

図3は、喉頭気管載開術の所見で、甲状軟骨板は正中にて離開し、輪状軟骨弓部は異常に厚くなって内腔に突き出て、声門下腔を狭窄させていた。甲状軟骨と肥厚した輪状軟骨前壁を正中で切り離し、瘢痕組織を除去して喉頭内腔を拡大し、既存の気管切開孔と続けて細長い樋を形成し、外径9㎜のシリコンゴム製Tチューブ(高研製)を留置した(図3中上)。

その後、切割部の開大に伴って次第に太いTチューブに変更し、外径12㎜のTチューブを挿入できるようになった同年12月に一旦退院した。図右上は、樋状の溝が完成した際の前頸部の所見である。

19793月に再入院し、前頚部右側に鼻中隔軟骨と粘膜の複合弁を移植し(図3左下)、移植1カ月半後に移植部をdoor flapとして翻転し閉鎖した(図3中下)。気管孔は、再狭窄を来さないことを確認してその1カ月後に閉鎖し、19797月に退院した(図3右下)。

 

  手術不可の先天性声門下狭窄症

 

996年4月に診療所を受診した5歳男児は、在胎6カ月で出生した超未熟児で、出生直後から呼吸困難を認めて札幌市立病院に搬送され、生後40日目に気管切開を受けた。

その後、札幌医科大学病院耳鼻咽喉科に紹介されて治療を受けていたが、母親の実家に帰省中、当院を受診した。

初診時は、気管切開孔にシリコンゴム性Tチューブ(高研製)を装着しており、急性中耳炎の治療と同時にTチューブの消毒、交換を行った。

 その後、年に1,2回、母親の帰省時に当院を受診し、Tチューブからスピーチカニューレ(高研製)に変更されたものの、就学は、トラブルに備えて母親が患者さんに付き添って一般の小学校に通学していると話していた。

 本例は、母親が再建手術を希望しており、札幌科医科大学病院耳鼻咽喉科の先生からも、私に相談するようにと言われていたが、再建手術可否不明のため、2,3の施設を呈示してはみたものの経過観察としていた。

 図4は、20103月、19歳の時の喉頭電子内視鏡所見である。図4左は、経鼻的に観察した喉頭所見で、左披裂部の形成不全と喉頭内腔の狭窄を認める。図中スピーチカニューレを抜去して、気管切開孔を頚部前面から観察した所見で、声門下腔右側の狭窄が認められる。図右は、気管切開孔より下方の気管内腔所見で、ほぼ正常である。 

201011月に、母親が希望した関西地区の大学病院耳鼻咽喉科教授宛に紹介状を書き、精査を受けたが、手術の適応にはならないとの返事であった。

先天性声門下狭窄症は、極めてまれな確立された治療法のない難病で、現在、公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センターのホームページ(2019年6月更新)に、指定難病330 先天性気管狭窄症/先天性声門下狭窄症として掲載されている。

2017年に、静岡県立こども病院小児外科関岡ら8)が、4歳10ヵ月女児の先天性声門下狭窄症に対してextended-Partial Cricotracheal Resection(ePCTR)と声門開大術(Ejnell法)を同時に施行し、一期的に気管切開から離脱した1例を報告している。

現在、本症例のような患者さんの紹介先として、静岡県立こども病院小児外科、国立成育医療センター感覚器・形態外科部耳鼻咽喉科等が想定されるが、手術の可否は不明である。

 

おわりに

 

私が耳鼻咽喉科医になって間もなくの頃、当時の学会はモノクロスライドを使っての発表が主で、その後、カラースライドが登場した。しかし、手術所見や内視鏡所見をカラースライドで発表しても、投稿論文にカラー写真の掲載は出来ないのがほとんどで、掲載可能な場合にも高額の追加負担が必要であった。

ビデオ編集について、私が最初に経験したのは1983年(昭和58年)で、当時、朴沢教授が日本耳鼻咽喉科学会宿題報告の担当となり、ビデオ編集機器を購入した。機器は、Uマチック、VHS、ベータのいずれのテープでも編集出来たが、かなり高価なものであった。

朴沢教授のお声がかりで、青森県地方部会プログラムにビデオ部門が設けられ、同年12月、青森市浅虫温泉で開催された日耳鼻地方部会第33回例会で、教室員11名が1題ずつビデオ演題を出題することになった。

私は、レーザーメスというタイトルで出題したが、ビデオ機器の操作は後輩に教わったものですぐに忘れ、録画したUマチックのテープが手元に残ってはいるが、再生装置は保有せず、視聴は出来ない。

1992年(平成4年)の開業に際して内視鏡、手術用顕微鏡等を購入した際にビデオ記録装置を装備した。その後、ビデオタイトラー購入、Windows95パソコン自作、動画をパソコンに取り込むビデオキャプチャーボード購入を経て、デスクトップビデオ(DTV、コンピュータ上で行うビデオ編集)に挑戦し、カノープス社製ビデオキャプチャーボード・DVRaptorAdobe社製ビデオ編集ソフト・プレミア5.0使用を手始めに、多くの編集機器、編集ソフトを更新したが、現在、その大半が時代遅れとなり、廃棄処分した。

   

参考文献

 

1)        守本倫子:子どもの のど外来―喘鳴を極める.日本医事新報.No.5017 18-29.2020

2)        Olney DR et al: Laryngomalacia and its treatment. Laryngoscope 109:1770-1775. 1999

3)        井上真規、折舘伸彦:難治性喉頭軟弱症.JOHNS 34(11)1573-1576.2018

4)        粟田口省吾、齋藤久樹:先天性咽喉嚢腫の一治験例.日気食会報 27(4) 315-321.1976

5)        野村由美子、他:先天性喉頭嚢腫(潴溜嚢腫)による肺性心の1例.小児外科 9(3) 317-323. 1977

6)        Suehs,O.W.et al : Congenital cyst of the larynx in infants. Laryngoscope, 77:654-662.1967

7)        齋藤久樹、朴澤二郎、他:先天性声門下狭窄の鼻中隔軟骨による再建.日気食会報3143293341980

8)        関岡明憲、他:先天性声門下狭窄症に対してextended-PCTRと声門開大術を同時に施行し、一期的に気管切開から離脱した1例.日小外会誌.53(1)94-99,2017