鼻副鼻腔悪性黒色腫

 

 はじめに

 

 悪性黒色腫(メラノーマ)は、悪性度が高く、早期に所属リンパ節に転移し、さらに血行性に遠隔転移する、また、癌化学療法や放射線療法に対して感受性が低く、悪性腫瘍の中でも予後がきわめて悪いものの一つで、皮膚科領域に多いが、鼻副鼻腔などの粘膜からも発生し、その予後は、皮膚のそれよりもさらに不良である。

 私が弘前大学医学部耳鼻咽喉科学講座に在籍していた1976年7月、口蓋粘膜から発生した悪性黒色腫患者の担当医となり、恩師 粟田口省吾教授執刀での手術、放射線科に依頼しての放射線治療も効果少なく、急激に全身に転移して亡くなられ、無力感に苛まれた。

 その後、1976年9月から連続して鼻副鼻腔粘膜に発生した悪性黒色腫患者の担当医となり、BCG(Bacillus Calmette-Guerin)生菌による免疫療法、DTIC(dimethyl triazeno imidazole carboxamide、商品名ダカルバジン)を併用した免疫化学療法を開始した。

 当時、癌免疫療法は、手術、放射線、癌化学療法に続く第4の治療法として大きな期待が持たれており、弘前大学においても、1985年に東野修治学長主催のInternational Symposium on Immunochemotherapy of Cancerが開催された。

 私は1992年に開業して癌治療の現場から離れたが、1980年代から90年代初頭にかけて免疫反応のアクセルとブレーキのしくみが明らかになり、2000年代に入って癌細胞による免疫回避機構の一端が解明され、癌細胞自身が生体の持つ免疫調節機構のブレーキを用いて免疫からの攻撃を回避していることが判明した。

 悪性黒色腫は、稀に自然治癒や部分消退が認められ、古くから癌免疫療法のターゲットであったが、2014年7月、抗PD-1「Programmed cell death 1」抗体であるニボルマブ(商品名オプジーボ)が世界に先駆けて本邦で悪性黒色腫の治療薬として認められ、その後、肺癌、頭頚部癌、腎細胞癌、胃癌等にも保険診療としての適応が拡大され、癌免疫療法が癌治療の第4の柱として正式に認知された。

 2018年10月、ノーベル生理学・医学賞がニボルマブを開発した本庶佑京都大学特別教授と抗CTLA4「Cytotoxic T-Lymphocyte L Associated Protein 4 by T Cells」抗体 であるイピリムマブ(商品名ヤーボイ)を開発した米テキサス大学MDアンダーソンがんセンターJames P Allison教授に授与された。

 

 鼻副鼻腔悪性黒色腫

 

 国立がんセンター皮膚科医長石原和之先生は、昭和54年(1979年)発行の著書「ほくろのガン 悪性黒色腫」で、皮膚悪性黒色腫stage1( 40例)の5年生存率74.6%、stage 2(24例)の5年生存率15%、stage3・4(33例)の3年生存率8.7%、4年生存率0%とし、皮膚悪性黒色腫は早期症状を理解することがあらゆる治療に優り、早期例は臨床形態で診断しての摘出手術が原則で、試験切除や小切除後に受診した症例の大半が悲惨な経過をたどったと報告した。石原先生には、当時、米国から直輸入のDTICを送って頂いたり、BCG療法研究会などでお教え頂いたりしていた。

 1965年1月から1981年12月までの17年間の本邦文献より集計した鼻副鼻腔悪性黒色腫132例に私達が経験した11例(新鮮8例、再発転移2例、関連病院新鮮1例)を加えた143例中、観察期間の記載があった84例は、stageⅠaの 37例中2年以上生存11例、5年以上生存4例、stageⅠb,Ⅱ,Ⅳにおいては25例中、2年以上生存3例であった。

 悪性黒色腫が鼻副鼻腔粘膜に原発した場合、腫瘍の色調は約半数が黒色、黒褐色などの特徴的な色調を呈するが、残りの半数は暗赤色、赤色、灰白色、白色の色調を呈したり、白苔に被われたりしており(図左 鼻内所見)、臨床形態のみで他の悪性腫瘍や鼻茸などと鑑別するのは困難で、発見の遅れることが多く、早期に発見しても、広範切除が難しいことからその予後は不良である。

 私は、臨床形態で悪性黒色腫と診断した3例について、同時に細胞診検査を行い、いずれもPapanicolaouの分類でクラス5と判定され、胞体内に色素を含んだ腫瘍細胞を多数認めたことから悪性黒色腫が推定された。鼻副鼻腔悪性黒色腫の手術は、その解剖学的構造から切除範囲に限界がある。私は、悪性黒色腫が疑われた鼻腔内腫瘍を、腫瘍細胞の播種を防ぐために凍結手術を先行させて凍結固型化し、腫瘍細胞を非働化した上で摘出した。

 また、早期例は、鼻腔粘膜に切開を加えないで患側の固有鼻腔を前鼻孔から鼻中隔軟骨、鼻翼軟骨を含めて筒状に一塊として摘出する方法を行った。図右は、臨床形態から鼻副鼻腔悪性黒色腫と診断し、手術当日の凍結生検により悪性黒色腫の診断を得た症例の、摘出後に切開を加えて腫瘍を露出させた標本を示したもので、鼻中隔粘膜に13×10mm大の黒褐色の腫瘍が認められる。

 本例はBCG療法とDAV(DTIC+ACNU+VCR)療法とを併用し、4年11か月を経過した1990年10月現在、再発転移なく健在であった。

 兵頭らは、1980~2001年の22年間に経験した鼻副鼻腔悪性黒色腫14例中、治療を拒否した1例を除く13例に対して、前頭蓋底手術を含む拡大手術を主体に、化学療法や放射線療法を併用し、前頭蓋底手術を行った7例の5年生存率が38.1%であったのに対し、併用しなかった6例では0%で両群間の生存率には有意差があったと報告した。また、全体の2年生存率は38.5%、5年生存率20.5%、10年生存率10.2%で、13例の予後は12例が現病死、1例は初診から33ヵ月を経過して生存中であるが頭蓋内および腰部髄膜に遠隔転移を認めているとした。

 2015年に放射線医学総合研究所小藤は、粘膜悪性黒色腫は放射線抵抗性で唯一の根治療法は手術療法であり、放射線治療の意義は明らかではない。しかし、たとえ手術可能であっても予後は極めて不良であるとし、最初に重粒子線治療単独での治療を102例に施行し、局所制御率80%、全生存率35%と報告し、全生存率が低い理由のひとつは治療後比較的早期に出現する遠隔転移であったとし、2001年からDAV療法と重粒子線の同時併用+補助療法を116例に施行し5年局所制御80%、5年生存率50%と報告した。

 

 

BCG腸溶カプセル・ニボルマブ・ダカルバジン

 

 BCG腸溶カプセル

 

 悪性黒色腫進展例の治療法として、1970年にMortonらはBCGを腫瘍内に接種し、8例中5例の有効例を報告した。

 BCGを腫瘍内に局注した場合、抗腫瘍効果が最も著明であるが、副作用も最も強く、私も1976年にBCG腫瘍内投与を行った2例中、激しいインフルエンザ様症状を呈した1例を経験した。また、腫瘍内投与を術後の再発予防や臓器転移の治療に用いることは難しい。

 1973年にFalkらは、悪性黒色腫に対してBCG経口投与を反復し、7例中5例の有効例を報告した。BCGは生菌ワクチンであり、胃酸などの酸性液に極めて弱く、力価が低下し易いことが知られていたが、腸溶性BCGカプセルは、日本BCG研究所において試作され、高倉らが1978年の第4回BCG免疫療法研究会において脳腫瘍の補助免疫治療として報告した。

 私は、1978年からBCG(日本BCG研究所製、一部厚生会製)を腸溶カプセル内に封入して経口投与を行い、1979年の第6回BCG免疫療法研究会において報告した。図中に腸溶カプセル作成材料とDTIC(ダカルバジン)を呈示した。その後、日本BCG研究所からBCG腸溶カプセルが供給され、投与を継続した。

 図右に、肺転移巣に対するBCG腸溶カプセル内服単独の効果(a→b)とDTIC静注併用の効果(b→c)を示した。

 BCG療法は、現在も筋層非浸潤性膀胱癌や上皮内癌に対する注入療法が標準的な保険診療として認可されており、非特異的免疫療法のエース的存在である。

 

 ニボルマブ

 

 本庶佑著「がん免疫療法とは何か」に掲載されている、悪性黒色腫に対するニボルマブのアメリカでの治験結果(図左)では、他の治療を受けたことのない悪性黒色腫患者400名の半分をPD-1抗体治療に、もう半分を従来最も効果があるとされた化学抗がん剤ダカルバジン治療にあてた二重盲検試験の結果、17ヵ月後にPD-1抗体を投与された患者は70%強が存命で、この数字は、その前の半年程度の期間、ほとんど変わっていない。一方、ダカルバジンを投与された患者の15ヵ月目の生存率は約20%で、その後急速に生存者数が減少し、これ以上、二重盲検試験を続けることは倫理的に望ましくないという判断となり、ここで治験は中止されたという。

 免疫チェックポイント阻害剤によるがん免疫療法については、ニボルマブ、イピリムマブ等の国内臨床試験を担当した宇原久信州大学皮膚科准教授(現札幌医科大学皮膚科教授)の総説 「メラノーマの新しい治療とがん免疫療法の新展開」信州医誌(2016年)に詳しく記載されており、以下に一部を抜粋して呈示する。

 2005年、ヒト型抗PD-1抗体であるニボルマブが作製され、2006年から米国、2009年から本邦で臨床試験が開始された。2010年に第1相試験の結果が報告され、大腸がんに完全奏功(CR)、腎がん、メラノーマ患者に部分奏功(PR)が確認された。本邦で、国内の多くの施設の協力により短期間で臨床効果と忍容性が確認され、治験が先行していた米国に先駆けて世界初の抗PD-1抗体として2014年7月に製造販売承認を得ることができた。2013年、Science誌はBreak-through of the Yearにがん免疫療法を選んだ。これは、「本当に効く」がん免疫療法の新しい時代が始まったことを意味している。

 ニボルマブを開発した本庶佑教授は、1989年10月1日から1998年3月31日まで、弘前大学医学部附属脳神経疾患研究施設 遺伝子工学部門(客員部門)の教授を併任され、市医師会報第53巻第5号の編集後記にも本庶佑教授についての記載がある。

 本庶佑教授は、私達と同じく昭和41年3月に医学部を卒業し、インターン闘争で昭和42年春の医師国家試験をボイコットし、半年遅れの秋に医師国家試験を受験して医師免許を取得した「よんいち」世代である。

 2020年2月、日本医事新報No.4998 に、大塚篤司 京都大学医学部特定准教授の「悪性黒色腫との戦いは始まったばかり」という記事が掲載された。

 オプジーボが世界で初めて保険適用となったのが2014年。世界で初めて本邦の悪性黒色腫で使われ、その効果はお墨付きで、悪性黒色腫が治る時代が到来した、と思ったが、欧米の奏効率約40%に比して国内では20~30%とやや低く、奏効率の違いの原因として、欧米で多い悪性黒色腫が露光部・非露光部を含め皮膚に多いのに対し、日本人・アジア人は手足などにできる末端黒子型が40~50%を占め、さらに欧米では数%と報告されている粘膜型が10~20%と高く、オプジーボは体細胞変異の数が多いほど効果を発揮するが、末端黒子型や粘膜型は体細胞変異が圧倒的に少なく、欧米人に多い皮膚型の悪性黒色腫と比べると全く違う遺伝子変異パターンを有し、この遺伝子の違いが、オプジーボの治療効果の違いを反映していると考えられるとし、悪性黒色腫はいまだ治らないがんである。戦いはまだ始まったばかりなのだと結んでいる。

 

 追記:鼻副鼻腔悪性黒色腫に関するエッセイ(2)を投稿後間もなく、JOHNS誌を読んでいると、今野昭義千葉大学名誉教授(現 脳神経疾患研究所附属総合南東北病院アレルギー・頭頸部センター)の、私の研究歴 耳鼻咽喉科臨床における研究の楽しさと魅力―耳鼻咽喉科・頭頸部外科医としての半世紀を振り返ってーという論文が掲載されており、その中に、鼻副鼻腔悪性黒色腫の良好な治療成績も記載されていたので、以下に概要を呈示する。

 en bloc 切除が可能な悪性黒色腫に対しては、切除術、術後陽子線またはIMRT照射、全身化学療法(DAV)の併用療法、en bloc 切除困難な症例では術前陽子線(またはサイバーナイフ、IMRT)照射後にen bloc 切除、全身化学療法(DAV)を行い、M0新鮮悪性黒色腫13例中、3症例は1年以内に遠隔転移死したが、残りの10例は平均観察期間83.8±1.5カ月間生存し、5年非担癌累積生存率は76.9%であったとし、2018年以降は抗PD-1抗体(ニボルマブ)を集学的治療の一部として用いることが可能となり、手術、照射療法と組み合わせることにより、頭頸部悪性黒色腫も自信をもって癒すことのできる癌になるものと期待していると述べている。

 今野名誉教授は、私より少し年上の同世代の方で、秋田大学で戸川清教授のもとで助教授をされていた当時、東北連合学会等で何度か親しくお話させて頂いたこともあり、当時を懐かしく思い返しながら追記させて頂いた。

 

 おわりに

 

 NET検索、がんナビ2019/04/02によれば、抗PD-1抗体が不応となった転移性メラノーマ患者において、腸内細菌叢の移植と抗PD-1抗体の再投与により効果の期待できることが、2019年3月に米アトランタで開催されたAmerican Association for Cancer Research(AACR2019)で、イスラエルSheba Medical Center/Tel Aviv UniversityのErez N. Baruchらが、フェーズ1試験のプレリミナリーな結果として発表したという。

 腸内細菌叢移植(別名便移植・FMT)は、最近、クローン病や潰瘍性大腸炎などの難治性炎症性腸疾患に行われている治療法で、カプセル内服FMTも有効とされている。

 2020年3月18日の東奥日報に、がんゲノム医療拠点 弘大専門家会議が始動という記事が掲載された。

 昨年9月、国の「がんゲノム医療拠点病院」に指定された弘前大学医学部附属病院は17日、同病院で、専門家会議「エキスパートパネル」の初会議を開き、進行がん3症例の遺伝子検査の結果を基に、患者一人一人に合った治療法を話し合った。がん遺伝子の変異を調べて最適な治療を選ぶ「新時代のオーダーメイド治療」が本県でも動き出した、と報じている。

 今後、希少癌である鼻副鼻腔悪性黒色腫や、頭頚部進展癌を治癒させ得る時代が到来しつつあるものと期待している。

 

     参考文献

 

 1)齋藤久樹、他:鼻・副鼻腔悪性黒色腫の6例 日耳鼻 80:1338-1351 1977

 2)Immunochemotherapy of cancer. 

Edited by Shuji Tohno et.al. Hirosaki University School of Medicine,1986

 3)本庶 佑 :がん免疫療法とは何か 岩波新書2019

 4)石原和之:悪性黒色腫 医薬の門社 東京1979

 5)齋藤久樹 笠原正明:鼻副鼻腔悪性黒色腫のBCG療法 特に腸溶カプセル経口投与の経験  BCG免疫療法誌4:61-64 1980

 6)齋藤久樹:鼻副鼻腔悪性黒色腫の治療: 日耳鼻 84: 452-455 1981

 7)齋藤久樹:鼻副鼻腔悪性黒色腫の臨床:日本医事新報 3346 :16-20 1988

 8)齋藤久樹、他:鼻副鼻腔悪性黒色腫の治療法の検討:頭頚部腫瘍 17:101-105 1991

 9)兵頭政光,他:鼻副鼻腔悪性黒色腫14例の臨床的検討:耳鼻臨96:121-126 2003

10)小藤昌志:最新の重粒子線がん治療の成果:頭頸部がん 医学のあゆみ 252:217-221 2015

11)Morton DL et al: Immunological factors which influence response to immunotherapy in malignant melanoma. Surgery 68:158-164,1970

12) Falk RE et al: Cell-mediated immunity to human tumors. Ablogation by serum factors and nonspecific effects of oral BCG therapy. Arch Surg 107:261-265,1973

13) 高倉公朋、他:BCG経口投与による脳腫瘍の補助免疫治療 経口腸溶カプセルの使用経験を含めて BCG免疫療法誌3: 55-57 1979

14)宇原 久:メラノーマの新しい治療とがん免疫療法の新展開: 信州医誌 64:63-73,2016

 

15)今野昭義:耳鼻咽喉科臨床における研究の楽しさと魅力.JOHNS(8) 35:1014-1020  2019